ちはのあしあと
フリーランスライター 森間ちは のブログです。
フリーランス

2001年にライターを始めた当時のはなし

ひよこ

わたしがライターとして仕事で文章を書き始めたのは、2001年頃のことです。

20年近く前のことなので昔話感すごいと思うんですが、当時のWebコンテンツ制作のこととか、今読むとわりと興味深いんじゃないかなと思うので書いてみます。

Webデザイナーになりたくて制作会社に就職

わたしがインターネットを利用し始めたのは、たしか1997年のことだったと思います。

当時、β版がリリースされたばかりのPostPetっていうメディアアート的なメールサービスを利用してみたかったのがきっかけでした。

PostPetは最初Mac版しかなかったこともあって、コミュニティにはMacを仕事で使っているような人たち(デザインやイラスト、DTPなど)が多かったです。そうした人たちの影響で、わたしも「ホームページ」を作り始めました。

前後してAdobe PhotoshopやIllustratorも学びました。当時のバージョンはたしかPS4.0/AI7.0とかだったと思います。アイコンがPSは目、イラレはヴィーナスだったころです。

そんなこんなで2001年に、東京で小さなWeb制作会社に就職しました。そのころにはWebが楽しくて夢中だったので、Webの仕事をしてみたいと思うようになっていたんです。

ちなみに、面接では「Webデザインの仕事をしてみたい」と伝えました。自分のサイトを3年以上運営していたし、デザインは大学で一応少し勉強していたのでデザイナーなら自分にもできるんじゃないかなと考えてたんですよね。

まあそれ以前には仕事でWebに関わったことがなかったので、デザイナー以外にどんな仕事があるのかあまりピンときていなかったというのもあります。

独自コンテンツの作成と更新にがっつり取り組み!

そんなわけでWeb制作会社に就職したものの、当初希望していたデザインチームには配属されませんでした。

配属されたのはISPのポータルサイト運営チーム。

ISP(インターネットサービスプロバイダ)という言葉、最近では一般的にはあまり聞くことがなくなりました。インターネット環境があるのが当たり前で、どこの回線を使っているのかなんて知らないという人も多そう。

わたし自身2年前に引っ越した今の家は賃貸ですがネット環境付きで家賃に含まれているので、どこの回線なのか知らずに使っています。U-NEXTのVODもついてるからたぶんU-COMかな?

話を戻しまして、2001年当時はインターネットがようやく一般家庭にも普及し始めたばかり。自宅にインターネットを導入するためには、誰もがまずはISPと契約する必要がありました。

今はISPは接続のためのものですが、当時は接続回線を利用できるほかに、メールアドレスやホームページ用のレンタルサーバーが利用できたりといったプランが主流だったと思います。「うちと契約してインターネット始めましょう」的な。

そんな当時、大手のISPはどこも「ポータルサイト」を持っていて、独自コンテンツを更新していたんです。

プロバイダの公式サイトのトップページといえば、Yahoo!Japanホームみたいなのが主流だったんです。想像できないかもしれないですが。

Googleは「なんか新しい検索エンジン」という感じで一般的にはまだ全然普及していなかった頃です。どのISPもインターネットへの入り口を自社サイトに作ろうと試みていたんだと思います。

そんな時代にわたしが勤めていた会社は、いろんなISPのポータルサイトのコンテンツ作成や更新を請け負っていました。

ニュースや天気予報などといったものは、通信社が配信するものを自動で更新するようなシステムが当時すでにありましたが、当時は読み物やエンタメ系のコンテンツなど作って提供するような形はあまりなかったと思います。

そんな時代だったので、どこのISPも人力で独自でコンテンツ作って配信するのが当たり前だったんですよね。

それぞれオリジナルで、ちょっとした読み物やアンケート記事、テーマごとのリンク集などといったものをせっせと作って毎日・毎週という形で更新していました。

そこで必要になるのがライティングだったんですよね。この会社にいたときのわたしは、文章も書くし編集やディレクションもするし、自分で絵を描いたりコーディングしたりもする何でも屋でした。

紙媒体出身の人たちから学んだコンテンツ作り

そんなインターネット黎明期のコンテンツなんてどうせショボイものだったんだろうと思われるかもしれません。

ところがそうでもないんです!

なにせまだまだWebコンテンツのプロフェッショナルなんて少ない時代です。少なくともわたしの勤めていた会社でWebコンテンツを作っていた先輩方は、出版社や編集プロダクションなど出版業界から来た人が大半でした。

紙媒体のコンテンツというのは、その当時でもすでに長い歴史を積み重ねてきただけのノウハウが確立されていました。

もちろん紙とWebとではコンテンツのあり方も変わってくるのですが、紙のコンテンツの作り手としての経験があった人だからこそ、Webの面白み、紙ではできなかったコンテンツを作る面白さみたいなものを実感していたと思います。

なにより、文章を書くことや表記に対するルールや意識の高さは勉強になりました。

ここで学んだことがわたしのライターとしての原点になっています。記者ハンドブックは今でも表記の一番の指針です。

期間は短いけど印象的な経験をした職場でした◎

この会社に勤めていたのは3年ほどだったので、たいして長く勤めていたわけでもないのですが、今でもいろいろと印象深く思い出すのは、やっぱりコンテンツ制作というものに初めて仕事で携わったのがここだったからなんだろうなと思います。

最初はデザイナー志望だったはずなのに、これ以降に勤めた会社では基本的に「ライターをやりたいです」と言い続けて、ライティングの仕事を続けてきました。

今でも記事の内容に合わせて、ちょっとした図を作ったりすることもあるし、そういうときはできる限りいい感じにしようとは思いますが、どっかで「でもデザイナーじゃないしな、このぐらいで許してね♡」みたいな気持ちがあったりします。

ライティングに関しては、「なんとかするよ、だってライターだからね」という認識と覚悟はかなりあるほうです。

そんな、今から思えばあれが原点だったかな、という当時のお話でした。

読んでくださってありがとうございます。